こんばんは。
カントリーマアムが好きです、キャシーです。
今日は、かっこいい大人について書きます。
二日間サウンドメッセでいろんな演奏を聞いて、
ギターの演奏スタイルは、
ほんとに一人一人ちがうなーって感じました。
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すごいキレイだなーって感じる演奏をする人もいれば、
すぐ立ち去ったイヤな感じの演奏をする人もいました。
もちろんどちらも演奏することでお金をもらっている人です。
また、
この人のこの演奏が好きだから、「その感じでもっとしてほしい」のに、見栄えのする演奏ばかりしちゃうんだなーって思う時もありました。
イベントに出る人達の服装や髪型も様々でした。
カチっとした格好の方が多かったですが、その中でも、なんだか自然体だな〜と感じる人も数名いました。
よく言えば自然体。
悪く言えばダサイ。
そんな感じです。
微妙なラインですけど、ダサさの中に、清潔感があるのは、うちはかっこいいなって思います。
かっこつけていない人が、かっこいい。
演奏もそう、服装もそう。
いろんな考えがありますので、これはあくまでもうちの考え方です。
うちもオシャレが好きだから、オシャレする人の気持ちもわかります。
でも、究極を言うと、やっぱり見た目を気にしているということは、人の目をきにしているということになります。
見た目を気にしていないというのは、人の目を気にしていないということになります。
人前に出るときに着る服というのは、ほんとうに自分が着たいと思う服なんでしょうか?
ライブで演奏する曲は、本当に自分の弾きたい曲なんでしょうか?
みんなの反応がいいから、舞台映えするから弾いているんじゃないんでしょうか?
周りの人がそういうジャンルを弾いているから自分はそれより下に見えるものを演奏しないのではないでしょうか?
二日間のサウンドメッセでは、早弾きがほとんどでした。
早弾きは確かにすごい技だと思います。
でも、「ギターソロ」というのは、なにも早弾きだけではなく、きれいなメロディを聞いてもらうことで響く人もいると思います。
また、全ての演奏が「マイク」「スピーカー」を通していました。
それはなぜなんでしょか?
アコースティックギターの良さは、うちは生音だと感じています。
その生音で演奏してくれる人は誰一人といなく、なぜだろう?と考えました。
それは、「聞こえない」のではなく、「聞かせたい」からだと思いました。
いろんな音がまじっているから大きな音を出さないと聞こえないときもあります。
でも、そうやって隣よりも自分とやっていたら、音を大きくし続けていくだけの世界になります。
どんなに大人数集まっても、「聞く」意識がお客さんのほうにあれば、聞くことができます。
スピーカーでやることが「当たり前」だと思ってやっているから、そうなっているんじゃないかな?とも思いました。
スピーカーを作っている人もいるので、もちろんそれが楽しいことだというのもわかります。
でも、全員スピーカーに通す必要はないんじゃないかなって思いました。
そういう会場の中であえての「生音ライブ」をやっている人がいたら魅力的です。
うちは、原点を忘れずに、「変わらない強さ」を作っていきたいです。
変わることはもちろん大切だけど、変わりゆくものばかりの中で変わらないものを築いていくことが、もっと大切なことだと思います。
誰にでもできることを、
誰にもできないものにする人こそ、
かっこいい大人なんじゃないかな。
かっこつけない人こそ、
かっこいい人なんじゃないかな。
自分の周りで起きていることを通して、
自分がどうありたいか、
改めて知ることができました。
感謝です。
うちは、これからも「アンプラグド」スタイルでライブをやっていきます。
生のギターの音と、生のギターの声で。
CDの音も、「弾き語り」スタイルで発売します。
いろんな音を混ぜるのではなく、ギターの音とうちの声だけ。
この2つは、うちの原点だから。
最初にライブしたとき、
最初にCDを発売したとき。
その時のことと今を、常に比べながら、極めていきます。
かっこいい大人ってどんなですか?
かっこいい大人になりましょ。
今日も、読んでくれてどうもありがとう。
Thanks, Cathy
追伸
でも、まだまだ見た目を気にする自分がいるのも事実です。
いろんな「当たり前」になっていることを一つずつ自分の価値観で確かめて、かっこいい人になります。
今の時代、おもしろいもの、便利なもの、生きていくのに必要のないものも多いです。
でも、それをぜーんぶいらない!ってするんじゃなくて、それも楽しく使いながら、じぶんらしさや、アナログも楽しんで、生きていきます。
あ、写真は、
先日公園で見つけたタンポポです。
かわいいよね。
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