こんばんは。
大切なCDを聞きながらブログを書いています、キャシーです。
まだ秋じゃないのにせつないです。
こんなに暑いのに、まるで秋のようなせつなさです。
「せつないね」 っていう漫画好きでした。
このCD、うちが19歳でニュージーランドに行ってた時に、日本人の友達がくれたの。
もう今から10年以上前のもの。
土日はいつも一緒に遊んでた。
フットサルしたり、ギター弾いたり、買い物行ったり。
日本に帰ってきてからも会いに行ったりもした。
今も連絡先は一応知っている。
あっているかどうかわからないけど、数年前までは返信くれてたんだけど、今はうちの一方通行。
すごくよくしてもらった。
でも、その時の自分は、その感謝の気持ちをほとんど伝えていなかった。(そういう自分の記憶)
自分が生きてきた歴史には、後悔していないけど、その時の自分にはもっと感謝する心をもてとめちゃくちゃ思う。
先日、ブログにも書いたことと通ずるところがある。
→ネガティブから脱出!今日からできる前向きになる方法!
有難いことを探すのが下手で、感謝があんまりできていなかった。
感謝してもそれを表現しようとはあまりしていなかった。
表現していたといえば、たまに手紙を書いて渡すことくらいかな。
手紙の習慣は、親の離婚のおかげでついた習慣なので、今思うと有難い。
それができていなかったら、ほんとにうちは、全然感謝を伝えられていない人だったと思う。
今の旦那さんも、会えない時期が何年もあって、何度も会いたいと思った。
なぜ会いたいと思うのか。
それは、「伝えたい思い」があるからなんじゃないかな。
今ならわかる、あなたがしてくれたこと。
あの時、あなたがしてくれたそのことが、今の自分を作ってくれてる。
だから、会ってお礼が言いたい。
そうなんじゃないかな。
それは後悔なんだろうか?
時に、音楽は罪だと思う。
もらったCDは、その人の歌じゃないけど、好きな歌手なだけあって、その人の演奏の仕方に似ている。
会いたいな〜。
なんで会えないんだろう。
悔しいな〜。
なんでこのCDをうちにくれたんだろう。
これって、自分で曲をセレクトしていれてくれたのかな?
と思って、この曲順のアルバムをネットで探したら、なかった。
やっぱり、セレクトCDだった。
もらった当初のうちにはあまり響かなかった。
でも、10年経ったうちは、なんて心地いい音楽なんだ、って聞いている。
これをくれた人の年齢に、今のうちの年齢が近いからなのかな。
会ってお礼が言えない。
ならば、歌にするしかない。
すてきな能力が自分にあることに、感謝。
どんな想いも曲にすることができるなんて、ほんとに有難い。
会いたいけど、会えない人っていませんか?
せつないですね。
こういう感情になれるって、人ってなんてキレイな生き物なんだろうと思います。
本当に本当に、めちゃくちゃよくしてくれて、いつも一緒にいてくれてどうもありがとう。
その時は伝えられずに、ごめんね。
あなたといた、あの時があるから、うちは今幸せとは何かを知って、自分の人生を自分らしく生きることができています。
感謝しています。
あなたが今日、元気で幸せでいることを心から願っています。
今日も、読んでくれてどうもありがとう。
Thanks, Cathy
コメント
その人が
いつかこのブログを
読んでくれたら
いいなって
思いながら
書いたんだね
ネットをする環境さえあれば
いつだって目にする可能性はある
「キャシーは
こんなに素敵な女性になったんだよ」って
(その可能性をその人は知ってたと思う)
私もその人に
読んで欲しいなって
心から願っているよ
あこりん、どうもありがとう。
このブログがいつか読んでもらえたらいいなーと思ってもらったんじゃなくて、ただ感謝の気持ちを書いただけなんだ。
それだけでも、宇宙の法則は働いてくれるからね。
「なんで会えないんだろう」
という気持ちから、
「ありがとう」
という気持ちに自分でシフトすることができるから。
その人が読んでくれたら、それは嬉しいんだけど、別にそれは期待してないの。
自分の感情というのは変わっていくものだし、今感じることを書きたかった。
ただ、それだけなんだ。
その気持ちが他の誰かと共感できることもあるしね。