改めましてこんにちは、キャシーです。
このページでは私の生い立ちについてお話します。
私の生い立ちについて
1986年4月13日、宮崎県宮崎市で生まれました。
幼稚園を卒園するまで住んでいました。
太陽の国宮崎と言われるだけあって、穏やかで暖かいこの土地がすごく好き。
写真、めちゃくちゃキレイでしょ?
海もあって、山もあって、自然がいっぱいです。
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家族が大好きです。
父、母、姉、弟。
宮崎で幼少期を過ごしました。
ほぼこの頃の顔と変わっていないらしく、面影があるとよく言われます。
幼稚園卒園と同時に、親の離婚で埼玉に引っ越しました。
私は母とも父とも仲良しです。
二人が幸せになるために離婚してくれたからこその今の関係があるので、感謝しています。
小学校、中学校、高校と埼玉県の学校に通いました。
どの学生の時期も、親友がいたから、多分学校楽しめていました。
それくらい、友達って大事。
私が慕っていた友達は、みんな尊敬できる人でした。
そういう人が側にいたことに、心から感謝しています。
学生時代に好きだった先生たちについても書いてあるので、よかったらこちらもぜひ。
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高校1年の終わりごろから、バイトもはじめました。
ラーメン屋さんです。
バイトしたくて電話したら、その日社長と面接。
電話してから2時間後に、採用決定。
入ったり辞めたりのくりかえししながら、5年くらい働いてました。
ここのラーメンが今でも世界で一番好きです。
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高校はバスケに専念してました。
朝6時半くらいに学校の体育館行って個人練したり、21時ごろまで練習したり。
そのバスケ部を3年の夏に引退。
「ボールも見たくない」というくらい、試合に負けたショックで立ち直れませんでした。
そんな時に、バイト先の人に、フットサルを誘われて始めました。
社会人チームという楽しさを知ったのもこの頃でした。
高校に通いながら、学生の楽しさ。
バイトとフットサルで社会人との関わり。
最高でしたね。
そして、
高校で進路考えたときに、海外の仕事を選択。
19才でニュージーランドにワーキングホリデー。
やってみたい「オーペア」という仕事が海外にありました。
その中でニュージーランドが安全そうだったので、ニュージーランドに行きました。
英語の成績はいまいちだし、中1の英語しか理解できてなかった。
けど、英語を学びにいくわけではないし、やりたい仕事があるからという理由だけで行きました。
そして、ニュージーランドでも英語の勉強をするわけでもなく、生活と仕事に必要な英語以外は覚えようとしませんでした。
なので、日本語大好きで、ニュージーランドにいる日本人と毎週末遊んでました。
日本人向けのラジオの DJもボランティアでやらせてもらってました〜。
こちらの経験も最高に楽しかったです。
仕事を経験して、半年後に帰国。
帰国して英語に興味を持つようになり、好きになりました。
ニュージーランドでの英会話生活は、私を英語好きにさせてくれました。
学校で英語が嫌いな人にほど、海外に行ってみてもらいたいです。
帰国後はディズニーシーの中にある、バイキングレストランで働いていました。
ディズニーでは「魅せる」ということについてかなり勉強しました。
「接客とは?」「お客さんを喜ばせるとは?」いろんなことを学ばせてもらいました。
埼玉〜舞浜まで通勤片道2時間半。がんばりました。
ディズニー辞めたあとは、
居酒屋やらーめん屋でバイトしたり、
昼夜逆転の生活をしてみたこともありました。
体にはどうだったかわからないけど、心はかなり楽でした。
夜型ですね、完全に。
夜、活発に動きたくなります、今現在も。
23才の終わりに埼玉から宮崎に引っ越し。
やりたいことに遅すぎることはない!
ということで、お父さんと住んでみたかったという願望を叶える為に、お父さんと二人暮らしを始めました。
いろんなところに遊びに行きました。
九州いろいろ回りました。楽しかったー!!
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宮崎に引っ越したことで、誰も知らないところで、新しい自分になることを決めました。
単純に新しいことやってみよう!って思ったんです。
以前から興味のあるアパレルの仕事を始めました。
それはそれは今までにない楽しさで、毎日が遊んでいるようでした。
好きなことを仕事にするというのは、こういうことなんだと体感したのもこの時でした。
関連記事:好きなことを仕事にする!アパレルショップ店員はまじ楽しい!
その経験を通して、今度は2人でブランドを立ち上げました。
「ブランドを立ち上げる」
そんなこと夢みたいで、すごくウキウキしていました。
しかし、1から自分たちでやるというのが、どういうことなのかを嫌という程痛感させられました。
わからないことだらけ、うまくいかないことだらけ。
そういう中で、見えてきたものがあって、これからというときでした。
一緒にブランド立ち上げた相手とみているものが変わってきていることに気づきました。
相手が大切にしているものが、私にとってはどうでもよかった。
その状態で私に続けることはできなかった。
立ち上げから2年後にブランドはクローズ。
夢みたいな時間が終わってしまいました。
人生終わった。
でも、実はそこがスタートでした。
全財産5000円。
参加費5000円の「日本一のランチ会」に参加。
全財産投資しました。
ここから、シンガーソングライターとして活動するようになりました。
ピアノは幼少から、ギターは19歳から。
音楽が自分の持っている才能だということに気づいたのはこの頃です。
ここで歌わせてもらって、人生変わっていきました。
出逢う人出逢う人、私を認めてくれる。
そんな世界が広がっていきました。
主宰の横川裕之さんから文字化の大切さを学び、それがこのブログにも繋がっています。
この自己紹介を書いているのも、自己紹介の重要さを知ったから書いています。
学んだことを行動にうつしていくと、夢が叶いました。
憧れの作家、喜多川泰さんの前での演奏、対談。
夢って叶うんだ。
それを肌で感じることができました。
この夢を叶わせてくれたのが、浅見弘幸さん。
関連記事:応援力は行動力!出逢いは一瞬、出逢えば一生。について書きます。
27才で再び埼玉に戻りました。
母と私の二人暮らし。
再びアパレルでも働きました。
池袋で尊敬する店長ができました。
この人の元で働けたことは私の人生での誇りです。
そして、30才で結婚。
相手が大阪に住んでいたので、大阪に引っ越しました。
5年間音信不通の大親友から1通のハガキがきたことをきっかけに、結婚しました。
関連記事:「なぜ結婚するのか?」納得できる理由
旦那さんは、ニュージーランドで出会った日本人です。
私が19歳の時に感じた理不尽、その事を当時話した唯一の人です。
彼に話したことで、私は死んだように生きる人にならずにすみました。
芯のある強い人で、とても尊敬しています。
結婚したての当時は旦那さんの両親と一緒に暮らしていました。
旦那さんの家族とも仲良くさせてもらっていて、恵まれた環境に感謝です。
両家だけの結婚式も行い、楽しい時間でした。
家族が増えるっていいなーと改めて感じました。
「ブログを書いて生活をしていきたい」
31才から、このブログをはじめました。
(2018年2月)
関西の行ってみたいところに訪れては、ブログに。
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そして、
大阪に3年半住んで、33才、今度は埼玉へ引っ越し。
初めての二人暮らし。
旦那さんと二人だけのお家。
いろんなことを日々話して、気づきのある毎日を送っています。
美味しいもの食べて、音楽奏でて、占い調べて。
全ての季節を経験して、1年がすぎました。
これが現在の私のプロフィールです。
とっても長いです(笑)
私は本当に書くことが好きです。
だから、これからも書いて形にしていきます。
最後に。
自分の人生を生きるというのは、簡単なことではありません。
生まれてから今までいろんな経験をして、いろんな人の言葉を聞いてきました。
それはある意味、洗脳です。
私たちのほとんどが、洗脳されて生きています。
でも、それって本当に自分の人生なのでしょうか?
私は違うと思うんです。
もっと自分の心の声を聞いて、洗脳されている人生から脱却してほしい。
概念を疑い、「本当はどうしたいの?」と自分に問いかけながら進んでいってほしい。
「自分の人生を生きる」
そんな人が溢れる社会を私は創っていきます。
2020年11月25日 Thanks, Cathy