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発信することは「道具」の一つ。

02|宇宙の法則

こんばんは。
旦那さんのギターの生演奏を聞きながらブログを書いています、キャシーです。

 

今日は、「発信すること」についてブログを書きます。

 

なぜ、発信することについて書こうかと思ったか。

ゆっきーのメルマガを読んでいて、気になったからです。

こうやって、自分の気持ちを外に出すきっかけをもらえるのが、ゆっきーのメルマガ。

うちは友達に連絡を取り合うメインアドレスに、唯一メルマガを設定しているのがゆっきーのメルマガです。
ぜひ、登録をしていない方はしてみてください♪

おすすめです。

→ゆっきー(横川裕之さん)メルマガ登録

 

きっかけになったメールの内容です。

…というボク自身も、このメールを

書こう書こうとしているのに、

都合のいい言い訳に納得されかかってます。

「こんなの書いても役に立たないんじゃない??」

「そもそも読まれてない可能性が高いんだから、
出すだけ無駄になるかもよ」

こういう脳内会話が出てきたら、

バサッ!と切ります。

「確かに全員は読んでくれないかもしれない。
でも、たったひとりでも読んで下さる方がいて、
その方のお役にたったなら、それは本望だ」

こう言い聞かせて、メールを書いています。

自分との約束をスケジュールに入れていますか?より

ゆっきーでも、そんなことを考えたりするんだなー、と意外な感じだったのでひっかかりました。

 

うちも、ゆっきーと同じように、

書いても意味がないんじゃないか?

って思ってたことがあった。

 

そして、

書いたものの中のたった一言が、誰かを救うきっかけになるかもしれない。

と思って、「意味がない」という想いをかき消していました。

 

そして、書いていくうちに、

自分の友達が読んでくれているだけで、

それだけでいいじゃないか

なんて幸せなことなんだ。

 

とも思うようになりました。

 

今は、どんな想いで書いているかというと、

貯金が貯まるように楽しい

といった感覚です。

 

ブログを書いた日は、日付に色が着くので、スタンプみたいな感じです。

よし、今日もオッケー(^^)

 

そして、ブログのアイコンも全部自分で作っているので、そのアイコンが並んでいくのも楽しい。

さらには、ブログ記事が貯まるとページ数が増える。それもまた嬉しい。

 

誰の為でもなく、自分の楽しいことの一つ。

ブログを書く=人生のスタンプを一つGET

といった感じで達成感があります。

 

ここに書いていたことが、今までの感覚だったんだけど、

ゆっきーのメルマガを読んで何かひっかかったので、

さらに考えているうちに、気づいたことがありました。

 

それは、

「君と会えたから・・・/喜多川泰」に出てくる、

パパが書いたハルカの為の日記。

でもね、お前が行動する勇気が欲しいときにパパがこの世にいなかったら困るだろ。 だから、その万が一に備えて、パパの考えていることを毎日書いていくことにした。 お前が自分の人生のの中でつまずき転んで立ち上がろうとするとき、勇気が必要なとき、そんなときのお前に話してあげたいことを、 私自身の人生を思い返して、書いておくことにした。 もちろん、これは万が一のための備えだから、 ここに書かれることの多くはパパから直接お前に話すことになるだろうね。 でも、きっと役に立つ時がやってくると思うんだ。 たとえば、お前が女の子だったら、 年頃になるとパパとは口も聞きたくないなんて時期もあるだろうね。 そんなときにも役に立つかもしれないし、 お前が高校を卒業する頃になると留学したいなんて言い出すかもしれない。 その時にパパもそばにいてなんてわけにはいかないが、 この日記なら持っていってもらえるかもしれない。 そういうチャンスがなかったとしても、 お前が親になったときにはじめてこの日記の存在に気がついて自分の子どもに、 つまり私の孫に伝えてくれるのかもしれない。 そんなことを想像しているとこれから先、書くのが楽しみになってくる。 お前が幸せな人生を送るために、今パパにできることはこれだと確信したんだよ。

君と会えたから・・・より

「明日」は無限にはない。

明日も生きられると約束されている人はいない。

 

死ぬ間際になって、あれもこれも伝えるっていうのは、時間が足りない。

 

うちには、子供はいませんが、子供がいつかできる可能性だってあります。

その時、子供の命と引き換えに自分が命を落とすことだってある。

子供より先に親が死ぬことだって多いのが事実。

 

文字にして残すことによって、自分のことを知ってもらうことができる。

 

「もっとお母さんのこと知りたかったな」

「もっとお母さんと喋りたかったな」

「もっとお母さんと一緒に居たかったな」

 

そんなことを子供が感じた時に、発信したものを残しておけば、それが役に立つはず。

 

その残す形をどうするかは、大切なことで、自分で選ぶこと。

フェイスブックなのか、アメブロなのか、 YouTubeなのか、独自ブログなのか。

それとも手書きなのか、パソコンなのか、USBなのか。

 

子どもの未来の為に、文字にして残す。

というのは、素敵な行為だなぁって思います。

 

そして、もう一つ思うこと。

それは、「すぐ」には求めないってことです。

 

このブログを読んで、救われる人、それはすぐには現れないかもしれない。

でも、もしかしたら50年後くらいに現れる可能性だってある。

 

歴史上の人物の名言というのを聞いて、感銘をうけることがある。

それって、発信したから残ったことで、その発信からどれくらいの月日がたっているのか。

 

生前はちっとも有名でなかった人が、

死後しばらくしてから、悔やまれる人物となることもある。

 

自分の考えを発信する、

そして、それに対する「何か」を期待する。

その何かはすぐに返ってくることもあるし、時間がたってから返ってくることもある。

 

やっていることの成果がすぐに目に見えないと、人は心配になる。

でも、すぐに結果が現れないように、宇宙ってなってるんだろうってうちは思うんだよね。

そのほうが楽しいから。

 

発信したことへの見返りを求めていたら、発信することはできなくなる。

それよりも、発信するのが楽しくなる方法を見つけたほうがいい。

人は、楽しいことはなかなかやめられないようになっている。

 

うちはこの有料でブログを書くことが、書くことを続けていられるポイントだって感じている。

うちには、とても向いている。

 

もしかしたら将来の子どものためになるかもしれない、

もしかしたらうちが死んだ後に残る名言になるかもしれない、

 

今自分にできること、それは、自分とはどういう人間なのかということを表現していくことなんじゃないかな。

表現したその先がどうなるかは未知数。

 

「発信」というのは道具の一つ。

その道具をどうやって使っていくのか。

世の中をよくする為に使うのか、悪くするために使うのか、それは自由。

 

こうやって、ブログを書いていて、

読んでくれる人がいる。

ありがたいです。

 

遠くにいる人とつながっていられる、

それは、現実的な距離ももちろんそうだけど、

時間軸を超えて繋がることができる、

そういうことでもあると思いました。

 

生きているなら、自分を表現して生きていきましょ。

 

今日も、読んでくれてどうもありがとう。

 

Thanks, Cathy

 

 

 

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