こんにちは、キャシーです。
私は、「自分の人生を生きる人で溢れる社会」にするために、様々な分野で発信しています。
その中でも一番力を入れているのがこのブログです。
頼むから、自分の人生を生きてくれ。
それが私が一番伝えたいことです。
自分の人生を生きずに、誰かの人生をまるで自分の人生かのように生きている人が多すぎる。
例えば、働きたくない場所で働いている人。
学校で友達に嫌われるのが怖くて自分を出さない人。
相手の喜ぶことを優先して自分の気持ちを我慢してしまう人。
家族のためにとそのためだけに頑張っている人。
あいつを見返したくて日々奮闘している人。
もう会えない相手に縛られて今を見れない人。
そういう人がいる空間が私は非常に苦手です。
頼むから自分のために生きてくれ。
私は、自分が生きやすい社会を自分で創ることに決めました。
自分の人生を生きることができていない人には、もちろん様々な過去があってそうなっているということは私にもわかっています。
人は変えることはできない。
それはそうかもしれない。
でも、人を変えようとして行動することは決して悪くないとは思うんです。
誰かを変えるというのは、奇跡的なことだと思います。
でも、私はそんな奇跡を起こしてみせる。
そう決めたんです。
自分の人生を生きる人を一人でも増やしたい。
その想いを胸に頑張ることにしました。
誰かに言われたたった一言で、トラウマを抱えたり、嫌われたくないと思うようなってしまいます。
でもそれは、逆に言うと、私のたった一言で、自分の人生を生きようと思うこともできるということです。
それだけ、誰かの一言というのはとても強いエネルギーを持っています。
私だけじゃない、これを読んでくれているあなたにも。
こどもの頃にやった伝言ゲームのように、このブログの言葉がたくさんの人に伝わっていったらきっともっと生きやすい社会になる、私はそう確信しています。
今の私が当たり前のようにできるようになったことも、
自分の人生を生きていなかった過去の私にはなかった習慣です。
そういうものを、日々のブログと平行して書いていきます。
自分の人生を生きる人が増えれば、
私はどこへ行っても心地の良い空間で生きることができるようになります。
どこへ行っても楽しい気持ちでいっぱい。
そのためには自分の人生を生きる人で溢れる社会にするしかないんだ。
そう思ったんです。
私は今まで数々のブログを読んできました。
そのブログを読んで元気や勇気をもらったり、自分の知らない知識を得ました。
そして、行動して、少しずつ変化しました。
自分がしてもらって嬉しかったことをする。
それは私の大切にしていることの一つです。
ブログを通じて私自身がそんな人になれることも目標の一つです。
「自分の人生を生きる」
そのために私が使ってきた知識や経験をすべてここに残していきます。
ぜひ必要なものを読んで、そして行動していってください。
私はあなたが本当の自分の人生を生きることを心から願っています。
自分の人生は、
親の人生でも、兄弟の人生でも、祖父母の人生でも、結婚相手の人生でも、子供の人生でも、会社の人生でも、国の人生でもありません。
自分の人生を生きようじゃないですか。
自分の人生を生きる人で溢れる社会に。
私の持って生まれた才能について
本名は石谷陽子です。
「陽子」という名前は私の生きる使命の象徴です。
私がいるだけでその場が明るくなります。
私は太陽のエネルギーを持っている子どもです。
大人にはなりません。
誰かに支えてもらいながら迷惑かけますが、それでも私と一緒にいるだけで笑顔になり、元気になり、生きる勇気を与えることができます。
逆に私がいないと寂しい気持ちにもさせてしまうところが私の短所でもあります。
陽子という名前の数霊(かずだま)は「夜明けの人」です。
マントラは「夜明けをもたらす命の水、花咲く人咲く未来咲く」です。
結婚して石谷という名前になりました。
石とはもともと神が宿る場所を示した漢字。
谷は山の奥深で神霊の依るところとされ、民間的な信仰の対象でした。
どちらの字も神さまに関係した漢字です。さらには名前の陽の「こざとへん」も神様が上り下りするはしごの形でもあります。
神様との繋がりが強くなったのかなと思っています。
結婚して以降、私は占いの勉強をすごくするようになりました。
そのことを学んだからこそ、私は自分の人生を生きることができるようになりました。
占いとは統計学で、生きる知恵以外のなにものでもありません。
ご先祖様たちに感謝しながら、周りの人を占って、自分の人生を生きるためのツールとして使っていただけたらと思っています。
私が中心として使っているのは、動物占い、名前、星座の3つです。
その他にも勉強はしてきているので、3つ以外も、私のことについて調べたものはのせておきます。
五黄の寅生まれです。
1986年の五黄の寅生まれです。
干支の寅年と、九星気学の五黄土星が重なっている年です。
36年に一回やってきます。
そのため、二つが重なっている五黄の寅に生まれた人は最強の運を持っていると言われています。
次の五黄の寅は2022年。
1950年生まれの方も五黄の寅です。
クリエイティブなオオカミです。
1986年4月13日生まれなので、動物占いではオオカミです。
さらに60種類に分けたものではクリエイティブなオオカミです。
これは本質の部分で、私が一人でいるときに強く出るものです。
動物占いには他にも表面と意志というものあります。
私の表面はたぬき、意志はゾウです。
本質がオオカミで地球グループ、
表面はたぬきで月グループ、
意志はゾウで太陽グループ。
3つのエネルギーを持っているため、いろんな人の意見を聞くことができます。
相手の行動心理をわかることのできる能力を持って生まれたということです。
なんでそんなことするの?信じられないということは私にはほぼありません。
そういう人もいるよね、と思って終わりにすることができます。
ただ、エネルギーの種類が多いため、一つのことに秀でているという能力はありません。
広く多くのことはできますが、どれも深くはないといった感じです。
私の現在の占いの一番中心にしているものがこの動物占いです。
個性心理学とも呼ばれています。
牡羊座です。
星座は牡羊座です。
牡羊座の私には準備がいりません。
準備は私にとっての足枷にしかなりません。
思い立ったら吉日、ピンときたらゴー。
1番が好き。
わがままを貫くことが大切で、私のわがままを面白がってくれる人と形をつくっていく。誰かに合わせるくらいなら、一人でやるべき星に生まれました。
運命数は5です。
運命数は5です。
運命数とは、人生を拓くための核となる重要な数字のことで、生年月日から算出します。
今世での性格、価値観、行動指針、人間関係など、人格やパーソナリティを象徴しています。
変化と自由が必須です。
定住する予定はなく、日本の気に入ったところを見つけて住みたいなと思っています。
同じところにずっと住むのは私には不可能かと。
自他共に認める自由人なのは間違いありません。
4と13について
数秘で4は形にする、家庭。
13はキング、パワーがある、人に使われたくない、人に使われてはいけない。
どちらの数字も大好きな数字です。
赤い蛇と青い嵐です。
マヤ暦では太陽の紋章が赤い蛇です。華やかさと直感力を兼ね備えた本能のままに生きる人。
ウェイブスペルは青い嵐です。人生が激しく変化しやすいのが特徴で、その変化を通してどんどんステージがあがっていきます。
以上が私の持って生まれた才能です。
こんな風に自分のことを調べることで、ヒントになります。
全て信じなくてもいいとは思うのですが、ピン!ときたところはきっと自分にとって必要なものなはずなんです。そしてそれを信じて行動してみることにより、才能は開花され、自分の人生を生きていくことができます。
上のデータを見ただけでも、私という人物がどんな人なのか想像ができたのではないでしょうか?
イメージとしては明るく、生き方としては自由、そんな印象を持ってもらったと思います。
実際私は非常にポジティブで明るく、誰かの元で働くことはせず個人で活動しています。
音楽を作ったり、服を作ったり、筆文字を書いたり、旅行に行ってブログに載せたり。
自由な人生を送っております。
他己紹介という記事、私の持って生まれた才能とかなりリンクしています。
おもしろいのでぜひ読んでみてください。
関連記事:他己紹介(他者から見た私)
私の生い立ちについて
ここから先は、私の生い立ちについて書きます。
生まれは宮崎、育ちは埼玉、大阪で結婚しました。
現在埼玉県熊谷市で旦那さんと二人暮らしをしています。
1986年4月13日、宮崎県宮崎市で生まれました。
幼稚園を卒園するまで住んでいました。
太陽の国宮崎と言われるだけあって、穏やかで暖かいこの土地がすごく好き。
写真、めちゃくちゃキレイでしょ?
海もあって、山もあって、自然がいっぱいです。
関連カテゴリ:宮崎ネタ
家族が大好きです。
父、母、姉、弟。
宮崎で幼少期を過ごしました。
ほぼこの頃の顔と変わっていないらしく、面影があるとよく言われます。
幼稚園卒園と同時に、親の離婚で埼玉に引っ越しました。
私は母とも父とも仲良しです。
二人が幸せになるために離婚してくれたからこその今の関係があるので、感謝しています。
小学校、中学校、高校と埼玉県の学校に通いました。
どの学生の時期も、親友がいたから、多分学校楽しめていました。
それくらい、友達って大事。
私が慕っていた友達は、みんな尊敬できる人でした。
そういう人が側にいたことに、心から感謝しています。
学生時代に好きだった先生たちについても書いてあるので、よかったらこちらもぜひ。
関連記事:好きだった先生について特徴を書き出す
高校1年の終わりごろから、バイトもはじめました。
ラーメン屋さんです。
バイトしたくて電話したら、その日社長と面接。
電話してから2時間後に、採用決定。
入ったり辞めたりのくりかえししながら、5年くらい働いてました。
ここのラーメンが今でも世界で一番好きです。
関連記事:東京とんこつらーめん「とんとら」熊谷店がまじうまい!
高校はバスケに専念してました。
朝6時半くらいに学校の体育館行って個人練したり、21時ごろまで練習したり。
そのバスケ部を3年の夏に引退。
「ボールも見たくない」というくらい、試合に負けたショックで立ち直れませんでした。
そんな時に、バイト先の人に、フットサルを誘われて始めました。
社会人チームという楽しさを知ったのもこの頃でした。
高校に通いながら、学生の楽しさ。
バイトとフットサルで社会人との関わり。
最高でしたね。
そして、
高校で進路考えたときに、海外の仕事を選択。
19才でニュージーランドにワーキングホリデー。
やってみたい「オーペア」という仕事が海外にありました。
その中でニュージーランドが安全そうだったので、ニュージーランドに行きました。
英語の成績はいまいちだし、中1の英語しか理解できてなかった。
けど、英語を学びにいくわけではないし、やりたい仕事があるからという理由だけで行きました。
そして、ニュージーランドでも英語の勉強をするわけでもなく、生活と仕事に必要な英語以外は覚えようとしませんでした。
なので、日本語大好きで、ニュージーランドにいる日本人と毎週末遊んでました。
日本人向けのラジオの DJもボランティアでやらせてもらってました〜。
こちらの経験も最高に楽しかったです。
仕事を経験して、半年後に帰国。
帰国して英語に興味を持つようになり、好きになりました。
ニュージーランドでの英会話生活は、私を英語好きにさせてくれました。
学校で英語が嫌いな人にほど、海外に行ってみてもらいたいです。
帰国後はディズニーシーの中にある、バイキングレストランで働いていました。
ディズニーでは「魅せる」ということについてかなり勉強しました。
「接客とは?」「お客さんを喜ばせるとは?」いろんなことを学ばせてもらいました。
埼玉〜舞浜まで通勤片道2時間半。がんばりました。
ディズニー辞めたあとは、
居酒屋やらーめん屋でバイトしたり、
昼夜逆転の生活をしてみたこともありました。
体にはどうだったかわからないけど、心はかなり楽でした。
夜型ですね、完全に。
夜、活発に動きたくなります、今現在も。
23才の終わりに埼玉から宮崎に引っ越し。
やりたいことに遅すぎることはない!
ということで、お父さんと住んでみたかったという願望を叶える為に、お父さんと二人暮らしを始めました。
いろんなところに遊びに行きました。
九州いろいろ回りました。楽しかったー!!
関連カテゴリ:宮崎ネタ
宮崎に引っ越したことで、誰も知らないところで、新しい自分になることを決めました。
単純に新しいことやってみよう!って思ったんです。
以前から興味のあるアパレルの仕事を始めました。
それはそれは今までにない楽しさで、毎日が遊んでいるようでした。
好きなことを仕事にするというのは、こういうことなんだと体感したのもこの時でした。
関連記事:好きなことを仕事にする!アパレルショップ店員はまじ楽しい!
その経験を通して、今度は2人でブランドを立ち上げました。
「ブランドを立ち上げる」
そんなこと夢みたいで、すごくウキウキしていました。
しかし、1から自分たちでやるというのが、どういうことなのかを嫌という程痛感させられました。
わからないことだらけ、うまくいかないことだらけ。
そういう中で、見えてきたものがあって、これからというときでした。
一緒にブランド立ち上げた相手とみているものが変わってきていることに気づきました。
相手が大切にしているものが、私にとってはどうでもよかった。
その状態で私に続けることはできなかった。
立ち上げから2年後にブランドはクローズ。
夢みたいな時間が終わってしまいました。
人生終わった。
って思いました。
でも、実はそこがスタートでした。
全財産5000円。
参加費5000円の「日本一のランチ会」に参加。
全財産投資しました。
ここから、シンガーソングライターとして活動するようになりました。
ピアノは幼少から、ギターは19歳から。
音楽が自分の持っている才能だということに気づいたのはこの頃です。
ここで歌わせてもらって、人生変わっていきました。
出逢う人出逢う人、私を認めてくれる。
そんな世界が広がっていきました。
主宰の横川裕之さんから文字化の大切さを学び、それがこのブログにも繋がっています。
この自己紹介を書いているのも、自己紹介の重要さを知ったから書いています。
学んだことを行動にうつしていくと、夢が叶いました。
憧れの作家、喜多川泰さんの前での演奏、対談。
夢って叶うんだ。
それを肌で感じることができました。
この夢を叶わせてくれたのが、浅見弘幸さん。
関連記事:応援力は行動力!出逢いは一瞬、出逢えば一生。について書きます。
27才で再び埼玉に戻りました。
母と私の二人暮らし。
再びアパレルでも働きました。
池袋で尊敬する店長ができました。
この人の元で働けたことは私の人生での誇りです。
そして、30才で結婚。
相手が大阪に住んでいたので、大阪に引っ越しました。
5年間音信不通の大親友から1通のハガキがきたことをきっかけに、結婚しました。
関連記事:「なぜ結婚するのか?」納得できる理由
旦那さんは、ニュージーランドで出会った日本人です。
私が19歳の時に感じた理不尽、その事を当時話した唯一の人です。
彼に話したことで、私は死んだように生きる人にならずにすみました。
芯のある強い人で、とても尊敬しています。
結婚したての当時は旦那さんの両親と一緒に暮らしていました。
旦那さんの家族とも仲良くさせてもらっていて、恵まれた環境に感謝です。
両家だけの結婚式も行い、楽しい時間でした。
家族が増えるっていいなーと改めて感じました。
「ブログを書いて生活をしていきたい」
31才から、このブログをはじめました。
(2018年2月)
関西の行ってみたいところに訪れては、ブログに。
関連カテゴリ:大阪ネタ
関連カテゴリ:奈良ネタ
そして、
大阪に3年半住んで、33才、今度は埼玉へ引っ越し。
初めての二人暮らし。
旦那さんと二人だけのお家。
いろんなことを日々話して、気づきのある毎日を送っています。
美味しいもの食べて、音楽奏でて、占い調べて。
全ての季節を経験して、1年がすぎました。
これが現在の私のプロフィールです。
とっても長いです(笑)
ここまで私のプロフィールを全部読めたあなたは、多分私のようにブログを書く事が好きだと思います。
いや、私は書いていないよ、という人は、まだ才能を使っていないだけで、きっと好きです。
ここまでプロフィールを書くというのは非常に時間はかかりますけど、
読んでいておもしろいなと思ったなら、ぜひ書き出してみてください。
始める事で現実は動きはじめます。
ここまでなんと8000文字。
私は本当に書くことが好きです。
だから、これからも書いて形にしていきます。
最後に。
自分の人生を生きるというのは、簡単なことではありません。
生まれてから今までいろんな経験をして、いろんな人の言葉を聞いてきました。
それはある意味、洗脳です。
私たちのほとんどが、洗脳されて生きています。
でも、それって本当に自分の人生なのでしょうか?
私は違うと思うんです。
もっと自分の心の声を聞いて、洗脳されている人生から脱却してほしい。
概念を疑い、「本当はどうしたいの?」と自分に問いかけながら進んでいってほしい。
「自分の人生を生きる」
そんな人が溢れる社会を私は創っていきます。
2020年11月25日 Thanks, Cathy