おはようございます。
朝です、キャシーです。
早起きは三文の徳、とは思っていない、朝苦手タイプなんですが、
今日は、早起きしたらいいことありました。
折り紙大師匠こうちゃんが、オリジナルで考えた「ネコミミ」の動画をあげてくれていまして(夜中に)、それを今朝一で作ることができましたー!!
昼間に見たら作らなかっただろうけど、朝見たからこそ作ってみた。
作りたい方、動画は▶︎▶︎▶︎コチラ
自分で折って楽しむだけなら、動画にする必要もないのに、こんな風に動画にしてシェアしてくれるなんて、優しいなー。
そういうところも尊敬してるんだよね。
尊敬している人の行動に触れることができると、エネルギーもらえる。
それがうちのおかんのいう「波動」っていうやつなんだろうね。
波のように広がっていく。
こうちゃん、ありがとう。
さて、うちは、今、
お茶しています。
朝のお茶タイム。
(いつも早起きじゃないので、早起きしたときはお茶とお菓子で楽しんでいます)
カントリーマァムがとても好きです。
主食になってる時あります(主に朝ごはん)。
ハロウィン仕様がかわいくて、普段より値段高かったけど、購入しちゃました。
一緒の売り場にいた、カボチャのゼンマイおもちゃも買っちゃいましたw
さて、タイトルのこと今から書きます(今までながっw)
【人は忘れてしまう生き物だから】
昨日、自分が過去に書いていた「アメブロ」のブログを読んでいました。
それも、一番最初から。
それがコレですね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20110816/00/daisuki-futsal/ff/e9/j/o0360048011419845945.jpg)
ういういしい限りです。
と思ってしまううちは、ダメだなーとも感じます。
これからもまだまだ元気いっぱいで無邪気な自分でいたいなーってめちゃ思いました。
最近、ブログ書いていて、こんなような気持ちになったことはないんじゃないかなって。
もっともっと、自分に素直になんでも書けばいいやないかって。
ブログで稼いでいくんだ!と決めたから、きっと見えないプレッシャーを感じていた。
それはきっと今じゃなくて、このブログを開始したときからだと思う。
好きなことでお金を得る生き方は、とても素敵。
でも、お金目的になってしまうと、やっぱりダメだよね。
お金が好きなのはいいけど、うちにはその指針だと自分の良さを出せない。
好きなこと、自分の好きなようにやって、感じたことを好きに表現していく。
何も文字にして残していなかったら、ブログを書く楽しさを感じを思い出すことはできんかった。
うちは、学校行事で書いてきた作品は全て処分している。
卒アルも高校の卒アル以外はない。
だからその当時の自分の考えていたことというのは、ぼんやりとしか覚えていない。
覚えていないことがいいことでもあり、残念なこともある。
うちはとても幸せです。
幸せを感じることができるのは、幸せじゃないと思っていた時期があったからこそ比べているんだよね。
それでその感情を感じることができる。
うちは、今のような考え方で生きているのは、当たり前なんだけど、そうじゃなかった時期があった。
誰かのたった一言に感動して、すげーーーー!!って世界を知った瞬間がいっぱいあった。
その言葉たちが、アメブロにはいっぱい書いてあった。
あー、そっか、うちは今のような考え方を昔からしているわけじゃないよね。
当たり前のことだけど、そんなこと忘れてたな。
ってブログをひとつひとつ読みながら思ってた。
頻繁に更新していたわけではないけど、
それでも、書き続けてきたことは、本当によかったなって思った。
その時、その時に仲良くしている友達がコメントしてくれていて、めちゃくちゃ感謝した。
あー、この人がいてくれて、この時はめちゃくちゃ癒されたなって。
だから、日々を生きることができたんだよなって。
ありがてぇー。と思うと泣けてきた。
もっと人を大切にしたい。
めちゃ思った。
ブログって、嬉しいことを書くことが多いけど、辛いこととかを未来の自分のためにも書いておいていいなーって思った。
自分の思うことをなんでも書いていいんだなって。
そんなの当たり前かもしれないけど、
ブログを書き続けていると、そんな当たり前を忘れてしまう。
うちは、もっとうちのために生きよう。
最後に、伝えたいことを書いておきます。
うちの作ったTシャツを購入してくれた人、改めてどうもありがとう。
アメブロの最初の記事を読んで、ブランドを立ち上げたときの感動を思い出しました。
自分の作った服を着てくれる人がいる、買ってくれるひとがいる。
それってなんてすごいことなんだって。
「夢」だったんだよね、そういえばって。
一度その仕事をするようになってからは、うちの中ではどんどんその感動は減っていってたなーって。
自分でデザインした服を自分で着ることができる素晴らしさ。
そして、そのデザインを買ってくれて着てくれている人がいるという事実。
あのときは、もう、それはめちゃくちゃ嬉しかった。
今も、もちろん、すごくありがたいなーって思ってたけど、
正直、収入源としてみている自分もいるなーって。(お金をもらえることがありがたいなーと感じていたほうが大きかったような気がする)
今の自分がクソだなってめちゃくちゃ思った。
うち、もっと、デザインして、自分のブランド作っていく。
うちだけしか着ないとしても、それでいいじゃないか。
作れるお金があるならば、どんどんやればいいじゃないか。
自分がデザインした服を着てくれるひとがいるなんて、まじなんてありがたいんだ(涙)。
夢だった。
そうなんだよ、うち、夢だったんだよね。
なんで忘れちゃったんだろう。
いやだなー。
もっともっと、うち、頑張ろう。
ここでくさっている場合じゃない。
もっと生きたい。
クソったれなうちを見捨てないで、いつも見守ってくれている人にまじ感謝です。
本当にどうもどうもありがとう。
泣きながらこのブログ書きました。
それじゃあ。
今日も読んでくれてどうもありがとう。
Thanks, Cathy
追伸
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