生き方

コロナワクチンを打つ?打たない?打つ人の根底にあるものを考えてみた結果…

生き方

「コロナワクチン打つべきかな?」
「コロナワクチン本当は危ないの?」
「でもみんな打ってるしな…」

キャシー
キャシー

こんにちは、キャシーです。今日はコロナワクチン接種について私の考え方を書いたので読んでみてください。

コロナワクチンのことで、最近まわりでいろんな意見を聞きます。その意見もあって、今の私の考え方があるので、ここに今の気持ちを書いておこうと思います。

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私のコロナワクチンへの考え

まず結論、私はワクチンは打っていませんし、これから打つ予定もありません。

それは私が自分自身で決めたことです。

私の周りには「本物のコロナワクチンを打つと100%ガンになるので絶対に打たないでほしい」ということを教えてくれた人がいます。

コロナワクチンは実はいくつも種類があって、それの純度?みたいなものがあり、めっちゃやばいやつは命の危険があるという情報があります。

それが危険なので、とある人たちが生理食塩水に変えたものも出回っていて、でももうその変えた分はなくなっているという話です。

また、コロナって全然怖くなくて風邪みたいなもん、っていう情報も知っています。

「ワクチンは危ない」「コロナは怖くない」という情報は、私の信頼している人からの連絡です。私のことを考えてわざわざ教えてくれています。

でも、だからといって、その考えをそのまま鵜呑みにしているわけではありません。

私はその情報をさらに自分で調べたり、世間の様子を見て、自分で考えて行動しています。

自分で考えて行動する。

それこそが何よりも大切なことで、この時代で生きる方向を迷わずに進める手段です。

いや、いつの時代も自分で考えて行動する人が、幸せに暮らしています。

なぜ恐竜が絶滅したのか知っていますか?

それは、人類が現れたからなんですよ。

人類の考える力というのは、恐竜の力をも上回るということなんです。

だからこそ、そんな人間の一番の強みである「考える力」を使って生きるというのは、一番すごい能力を使っていることになります。

自分で考えないで、周りがそうだからと行動していたら、人類も絶滅してしまいます。

というわけで、コロナワクチンの件も自分で考えるということが大切だと私は思っていて、その答えに正解はなくて、どちらでもいいと思っています。

私の出した答えは「打たない」。

では、なぜ打たないのか?

私は、むしろ、「なぜ世間の人が打つのか?」を考えたんです。

打つ予定のある人、もう打った人、なぜ打ったのでしょうか?

「周りに合わせて」という理由の人は、The日本人です。周りの風潮に合わせて生きる和の国である日本、そういう風になるのはごく一般的なことです。

打つ人の多くは、コロナにかかりたくないから、予防としてワクチンを打つのだと私は思っています。予防接種というやつですよね。

では、なぜコロナにかかりたくないのでしょうか?なぜ予防したいのでしょうか?

その答えは最終的に「死にたくないから」というものになると私は思うんですね。

だから、私は思いました。あぁー、まだやりたいことがあって、死にたくないんだな。もしくは死ぬのが怖いんだな。って。

私はその逆なんですよね。全然死んでも構わないと思っています。むしろ、長生きはしたいとは思っていません。

命は尊いと思うし、自分が生きていることにも感謝しています。でも、私は生と死への執着がありません。

明日死んでも後悔しないように生きると決めてから、一番やりたいことを優先して日々を過ごしています。(一番やりたいこととは、大切な人と共に生きる時間を何よりも優先するということです)

ちなみに、一番やりたいことというのは、この本を読んだ時に知ることができました。

ワクチンを打つ人は、死にたくないからだとするならば、

ワクチンを打たずに、コロナにもしもかかってしまって、そのまま死んでしまったら。。。

うん、私は全然嫌じゃないよね。

しょうがないかなって思う。別にそれが自分の死ぬタイミングだったんだって思うし、あがきたいとは思わない。

ワクチンを打たない場合、コロナやワクチンが本物だとしたらコロナにかかって死ぬ確率があがる。コロナやワクチンの情報がデマだったとしたら私は今までと変わらない。

ワクチンを打った場合、コロナやワクチンが本物だとしたら延命できる。コロナやワクチンがデマだったとしたら闇の組織の思うツボで死ぬ。

私はそのパターンを自分で考えたときに、圧倒的に後者が嫌だと思いました。

自分の死ぬタイミングを人に操られたくはないなと。

あと、ワクチン打って腫れるっていうのがどう考えても変だし、おかしな症状が出るのに打つって変でしょ、って思ってます。そして、注射自体が嫌いなのもあってしない選択ができるのならしたくないというのもあります。

私は自分が嫌だと思うことはしない主義なので、「ワクチンは打たない」という結論にいたり、そう行動しています。

そんなこといったって会社の決まりで、という人がいると思いますが、予防接種を強制でするというトップの下で働くのは絶対に嫌なので、私ならこれを機に転職します。

自分で考えて行動すること、それは先ほども書きましたが、人間の一番優れた能力であり、恐竜をも上回る力なんです。

それを封じるようなところで働くことは、私はしたくありません。

環境が人を育てます。自分がいる環境は選ぶべきだと私は思います。

コロナワクチンについては、私の家族両家全員、考え方が違います。選挙みたいなものであんまり話しあうものではないかなーとは思っています。

でも、大切な人に死んでほしくない、という両者の意見もわかります。でも、それも結局は相手をコントロールしたいということになるなぁと私は思っていて、それぞれが自分で出した答えがベストなので、自分と例え出した答えが違うとしても、相手を認めることが何よりも大切だと思います。

否定からは何も生まれない。

というわけで、これが私のコロナワクチンに対しての考え方です。

打つのも打たないのも、自分で考えて出した答えなら、私はいいのではないかと思っています。

以上です。いろんな考え方がある中で、私の意見も何か参考になるなぁと思う人がいたらおもしろいなぁと思ったので、書いてみました。

本気で生きるというのは、死ぬことを考えて今日を生きているかどうかだと私は思います。私は今日も思い切り生きました。明日も思い切り生きようと思います。

雷や大雨が降った後の今日のお空が神秘的だったので写真に撮りました。今日の記事はその写真で終わりにします(^^)/

それでは。

Thanks, Cathy

雨上がりの空

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